司法試験・法律ネタの他、司法浪人の切ない日常・趣味の話とか。お便りを頂いたりすると喜びます。
司法試験・法律ネタその他の切ない日記等 - さむいし。  -
▼資格試験関連 : スクール・通信講座の徹底比較!一括資料請求【無料】生涯学習のユーキャン
▼アマゾン : 法律系試験関連書籍法律系入門書籍
▼PC関連 : デルオンラインストアApple Store

以下、イシダ利用中のもの

▼独自ドメイン"ishidatic.com"とレンタルサーバ : ☆さくらインターネット
▼ブログ : Movable Type 3.2 日本語版
▼デザイン : HINAGATAGray Graphics基礎からわかるホームページの配色
▼アクセス解析CGI : 技林
▼アフィリエイト : A8.netリンクシェアバリューコマース
▼その他フリーソフト : LunascapeTeraPad法律用語辞書

トップページ解説ページ付き六法ちゃん > 日本国憲法


日本国憲法

解説ページ付き六法ちゃん

20050120-16:15 コメントする トラックバック (1)

(絵:ぎん太さん@TABLET

憲法とは

 広い意味では国家統治の基本を定めた法のことを指しますが、近代の立憲的意味における憲法とは「国に集められた権力を制限し、国民の権利・自由を守ることを目的とする法」を意味します。

 我々個々人が生まれながらに持っている権利を効率よく実現していくためにその行使を政府に委任する社会契約を結び、そうして1個に集められた強大な権力が恣意的に行使されることが無い様に檻を被せます。その檻が憲法。現行憲法はこの意味の憲法です。

 単に「憲法」という名の付いていただけの大日本帝国憲法やドイツ帝国時代のビスマルク憲法とは区別されます。中身がまるで違いますよね。

デザイン上の妄想

メイド服

 国民に御奉仕する以上は当然です。繰り返しますが、御奉仕するのは国民に対して。国家機構に御奉仕する心は持ち合わせていません。テーブルマナーがなってないとぶん殴られます。

99条

(天皇・公務員の憲法尊重擁護義務)

 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

 「国民」というのは入ってませんね。これは憲法が国民を縛ることを目的にしていないからです。ちなみにドイツではナチズムに対する反省からナチスに関連する思想・行動を憲法上禁止しており、これは国民を縛るタイプの憲法と言えます。国民を縛ってまであるべき民主制の姿を憲法上守ろうとしている姿から、「闘う民主制」と呼ばれたり。

短髪

 日本国憲法は大日本帝国憲法の改正法として成立しました。

上諭

 「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

 つまり形式的には旧憲法ちゃんと同一人物なのです。しかし先に述べた通り旧憲法と現行憲法の中身は全く異なるもの。このズレを説明するために憲法学の世界では「8月革命説」という考え方を用います。

 旧憲法では、臣民の権利は天皇から与えてもらうもの。個人は生まれながらに権利を持っているとする現行憲法の考え方とは相容れません。旧憲法をベースにした単なる改正法として捉えると、現行憲法ってダメな憲法なんじゃないの? とも思えます。

 そこで、「ポツダム宣言受諾(8月)と同時に一種の法的革命があって、旧憲法と現行憲法との間は実質的に断絶している。今の憲法は旧憲法とは中身がまるで違うものだ。ただ当時の状況では新旧両憲法の間に形式的連続性を持たせた方が色々と便利だっただけだ」と考えます。これが8月革命説。

 旧憲法ちゃんは腰まで届く位の長髪でした。それがポツダム宣言受諾と同時に暗い部屋に閉じ込められ、しばらくして出してもらえたと思ったら髪はバッサリ切られており、性格も別人になってた説。

三権分立

 三権分立って言っても、権力そのものを分けているって意味じゃありません。前述の通り、権力を1個にまとめてそれに檻を被せようってのが憲法の考えですからね。

 檻に閉じ込めるだけじゃ意味がないですから、そのチカラを上手に使って我々の生活に役立たせなきゃいけません。その時に檻の中から我々に伸びてくるのが、極太の1本の腕か、それぞれ役割を持った3本の腕か。どっちの方が安心かと言えば後者です。それが三権分立。

41条

(国会の地位・立法機関)

 「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」

 国会は、選挙で選ばれた連中が蠢いているところ。立法権は三権のうちでは我々国民の声に最も近い場所にいるので「国権の最高機関」なんて呼ばれますが、行政権・司法権より何かが優れているという訳ではなく、単なる美称です。

 法律は、我々国民を縛り、行政サービスの指針となるもの。それを制定できるのは国民の声がしっかりと届く国会だけ。お皿に乗らないのも自由ですけど、ちゃんと選挙に行って自分の声を僅かなりとも反映させた方が吉ですな。

65条

(行政権と内閣)

 「行政権は、内閣に属する。」

 国会で定められた法律に基づいて実際に我々にサービスをしてくれるのが行政権。お役所は好き勝手に仕事をしている訳ではなく、間接的ではあれ我々の声に基づいてサービスを行ってます。

 困ってる人を放置するようなお役所よりは手を差し伸べてくれるお役所の方が嬉しいですよね。でも「色んなサービスを提供するには、お役所にもっとパワーが必要だ!」って流れが強まりすぎると危険です。行政権がブクブクと肥え太り三権分立のバランスが崩れかねません。今の日本ではこの流れが明らかで、これを「行政国家現象」と呼びます。

 行政権が本来やらなくていい部分にまでサービスの名を借りて割り込んで来ると、被害を被るのは国民です。「泥棒が入らないように、各地域に監視カメラをたくさん設置してあげよう」「窓口での迅速な対応のために、君達の個人情報を役所が全部管理してあげよう」とか言い出されるとイヤですよね。そんな行き過ぎが起こらないように、太った行政権は常に厳重に監視されねばなりません。誰にって、そりゃあ我々にですよ?そしてその声は選挙を通じて国政に反映されます。

 行政権は危険な刃物。その刃が国民の思い通りにお皿の上の料理を刻むとは限らないのです。

76条

(司法権の帰属と裁判官の職権の独立)

1項

 「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」

 立法権・行政権には国民の声が及ぶとはいえ、一時のホットな多数意見に押されてヘンテコな法律・施策をやらかさないとも限りません。そんな時に後々困るのはやっぱり国民です。そこで、普段からあまり国民の声に左右されない冷静な機関が必要になります。

 刃物が国民を傷つけないように見張るとともに、もし傷つけてしまっても事後的救済をしっかり行うのが司法の役割。ナイフとフォークが国民を変に突っつき出したらフタをされます。

しかめっ面

 公民の授業を思い出す方も多いかと↓

96条

(憲法改正)

1項

 「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」

 特別に厳格な手続きを経なければ改正できない憲法を硬性憲法といい、我が日本国憲法も硬性憲法です。憲法が国家権力を縛るものである以上これを法律と同じ手続きで改正できるとすると、縛られる側である国会が自分にヌルく改正しちゃう危険性があります。

 そこで改正発議に特別多数の議決を要し、更に縛る側である国民の判断を経なければ改正できないことになってます。つまりちょっとやそっとで変わらないガンコ屋さんな訳ですな、彼女は。日本国憲法は今まで一度も改正されてません。

 イシダは年がら年中しかめっ面をしてる感じで考えてたんですけど、ぎん太さんが描くスケッチでは国民に対して微笑んでる絵がありました。その方がイイのかもしれない。というよりぎん太さんによって憲法ちゃんは巨人になりました。国会を跨げるくらいの大きさだそうです↓

 パンツ丸見えじゃん。

鳩と戦闘機

 まあ見たまんまです。9条についての解説は別の機会に。

トップページ解説ページ付き六法ちゃん > 日本国憲法

"日本国憲法" へのコメント

"日本国憲法"へのコメントはまだありません。

コメントする

コメントする
(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)
ブラウザに投稿者情報を登録しますか?(Cookieを使用します。次回書き込み時に便利です。)
  •  
  •  

"日本国憲法" へのトラックバック

以下1件のトラックバックはこのページのエントリー"日本国憲法"を参照しています。

このエントリーのトラックバックURL

forex trading

  • 2005年10月16日 07:10
  • from forex trading

forex tradin... [続きを読む]