2005長野・新潟ツーリング(3)
20050905-23:35 コメントする トラックバックする
最終日は朝から快晴。暑くなる前に距離を稼いでおきたかったので、朝飯は出発後にコンビニ弁当で済ませようという手の抜きっぷりで御座います。
2005/09/01
時刻 地点 累積走行距離
07:27 道の駅「風の丘米山」発 653km
08:35 道の駅「クロス十日町」 705km
09:00 北越急行美佐島駅 712km

去年訪問した筒石駅に続いて、「地下鉄でもないのに地下ホームな駅」である美佐島駅へ。地上部の駅舎はこじゃれた感じなのに、ホームへ続く階段は不気味に冷たく、さらに頑丈な自動扉が立ちふさがっていて牢獄の様な雰囲気。ホームと地上部へ通じる階段との間は2枚の頑丈な自動扉によって仕切られ、2つの扉は絶対に同時に開かないようになっています。
筒石駅の場合にはトンネル内に上り下りの2本の線路が通っていて、そこを列車が通過してもまあそれなりの風が巻き起こるだけです。列車通過時には筒石駅の地上部駅舎に心地よい風が吹き上げてきます。ここらへんは都市部の地下鉄と大差ない説。
ところが美佐島駅の場合はそうはいきません。というのも北越急行は山間部を無理矢理ぶち抜いて作った単線ですから(参考:地図内を左右に突っ切ってるのが北越急行)、狭くて長大なトンネル内に線路は1本しかないのです。この長いトンネルに列車が突っ込んでくると空気鉄砲の様な現象がおきてしまうんですね。
美佐島駅に停車する普通列車が接近してくるだけでも、相当な風切り音がします。もし在来線最速(だったはず)の160km/hを誇る特急「はくたか」が通過する際にこの二枚の扉が同時に開いたらどうなるかというと、地上部の駅舎の窓ガラスが吹っ飛ぶそうな。恐ろしい…。
尚、美佐島駅にはお茶セットや座布団などが備え付けてある公民館の一室の様な待合室が有ると聞いていたのでちょっと楽しみにしていたものの、一部のアホがはしゃぎすぎたせいで閉鎖されてました。こんな秘境駅まで来てはしゃぎすぎるなと言いたい。
10:30 JR小千谷駅 742km

←小千谷駅の駅舎です。ボロボロです。待合室の天井に穴あいてました。というか、駅舎にとどまらず新潟中越地震の被災地はまだボロボロでした。前日も糸魚川の辺りから「復興支援車両」という垂れ幕をつけたトラックが目立ってきたので、「復興って何の復興だろう…ひょっとして地震の復興がまだまだ終わってないのか!」と失礼な驚き方をしたイシダです。ごめんなさい。
幹線道路は至る所で工事中で片側交互通行。抜け道も悉く通行止めなのか、大型ダンプも軽乗用車も原付もごっちゃになって大渋滞です。災害対策基本法に基づく道路標識なんて初めて見ました。「危険」という赤い張り紙をしてある建物もまだ有りましたし、まだまだ復興の途中なんですね。
去年のツーリング(地震の直前)の際に利用した道の記憶を辿りながら何とか福島へ抜けようとするも、無理でした。大規模な土砂崩れに飲み込まれた車から男の子だけが救出されたあの現場はまだ土砂が崩れたままでしたし、旧山古志村を抜ける国道291号は許可車以外通行禁止。仕方なく大きく南に迂回しようと思えば国道17号は大渋滞。被災地をあなどっていたバチが当たったようです。
11:56 道の駅「いりひろせ」 782km
12:31 JR田子倉駅 812km
14:06 会津鉄道会津高原駅 897km
15:20 道の駅「湯の香しおばら」936km
16:10 道の駅「ばとう」 972km
17:30 水戸着 1050km
被災地を通過して少し凹んでしまったので、殆ど寄り道せずに水戸へ。田子倉駅での休憩の際に写真は撮りました。相変わらず工事関係の倉庫みたいな駅ですねここは。駅ノートに足跡を残して早々に帰宅です。
3日で1000km走った割には、会津ツーリングの時ほど疲れなかったな。やっぱりあの時は炎天下の走行が効き過ぎた模様。とは言え、さすがに今回も水戸の直前辺りでは注意力も散漫になってきてヒヤッとすることも有ったので、無茶な日程は組まないようにせねばなぁ。
一番感動したのは夕日、一番考えちゃったのは被災地。そんなツーリングで御座いマシタ。終わり。
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