取材の自由と公正な裁判の要請
20060316-01:10 コメント (2) トラックバック (1)
先日のお便りで話題になったお話がタイムリーに盛り上がっていたのでちょっと何か書いてこそ華。憲法の判例百選を持ってる人は75事件の解説と80事件辺りを読むと吉かも。
民事訴訟における証言拒否を認めないことが、記者と取材源との信頼関係を損ない、ひいては適切な取材を行うことができなくなることに繋がるとして、記者の取材の自由が侵害されるのではないかが問題になる事例。まずは最高裁の判例チックに書くとこうなると思います。
報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがつて、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。(最決昭44.11.26 博多駅事件)
報道の自由は国民の知る権利に奉仕するものとして21条の保障のもとにあるとしつつ、報道の不可欠の前提である取材の自由については「十分尊重に値する」と述べるに留まります。そして、憲法上の人権ですら他の人権と衝突する場合には公共の福祉による制約が認められるのですから、「尊重に値する」に留まる取材の自由が他の人権との調整から一定の制約を受けることもまたやむを得ませんね。
訴訟における証言拒否は、その訴訟によって紛争を解決して欲しいと願う人の「裁判を受ける権利」(32条)と衝突します。取材源だからというだけで片っ端から証言拒否を認めては、裁判による紛争解決を望む人から、重要な証拠・証言をことごとく奪い去ることになりかねません。かといって証言拒否を軽視しすぎれば適切な取材活動が出来なくなり、ひいては我々国民が政治的意見を構築するために必要な情報を報道機関から適切に受け取れず、民主制そのものが崩壊しかねません。
そこで両者の調和の観点から、裁判で争われている事件の性質や記者の証言の必要性、また証言拒否を認めないことにより記者ひいては報道機関の取材の自由が妨げられる程度・報道の自由に及ぼす影響等を比較衡量して決めるべき…となります。取材の自由は憲法上の人権だとはっきり言わない一方で、裁判を受ける権利は憲法上の人権ですから、両者を比べたらやっぱり後者のほうが少し重くなっちゃう雰囲気。
今回の東京地裁の決定も
「新聞記者の取材源は民事訴訟法が証言拒否を認める職業の秘密に当たる」「憲法で保障された報道の自由に生じる悪影響を考慮し、なお開示を求める特別な事情がある場合にのみ、証言を求めることができる」
とし、配慮は見られます。ただ、読売の記事(ちょっと感情的)をあわせて読んでみると、「公務員が守秘義務を負っている情報を漏らすことは犯罪である」→「取材源が守秘義務を負っている公務員である場合、取材源について証言拒否を認めることは、間接的に公務員の守秘義務違反という犯罪行為の隠ぺいに加担するに等しく、到底許されない」→「取材への悪影響は法的保護に値せず、記者の証言拒否は理由がない」…っていう理由付けをしているんですね。
この理由付けだと、守秘義務を負っている公務員から取材した記者は取材源について証言拒否をすることが一切できなくなり、ひいては守秘義務を負っている公務員への取材行為が一切できなくなる(相手が答えてくれなくなる)ことになります。これでは、いくら公正な裁判を受ける権利に肩入れして比較衡量するとはいえ、あまりに取材の自由を粗末に扱いすぎていて到底バランスが取れていない感じがします。
ここで、「公務員に秘密情報を漏らさせてまでやる取材なんてイイのか?」という疑問が湧くかも知れません。しかし、読売の記事に
実際には、記者が守秘義務の壁を乗り越えて情報を得ることで、官民の多くの不正・腐敗が明らかにされてきた。もし、官が一方的に流す情報しか取材・報道できないとしたら、国民に保障された「知る権利」はいったいどうなってしまうのか。決定の論理に従えば、公務員だけではなく、弁護士、医師、公認会計士らへの取材も極めて難しくなる。
記者にとって、取材源の秘匿が最高の職業倫理とされているのには理由がある。不正・腐敗に関する多くの情報は、勇気ある内部告発者から寄せられる。その告発者の名前が明らかにされるようでは、関係者は取材に応じなくなり、公権力の不正などの監視は不可能になるからだ。
ともあるように我々の政治的意思決定に必要不可欠な情報は守秘義務の向こう側にこそあることが多いのです。また、判例でも
報道機関が取材の目的で公務員に対し秘密を漏示するようにそそのかしたからといつて、そのことだけで、直ちに当該行為の違法性が推定されるものと解するのは相当ではなく、報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為というべきである。(最決昭53.5.31)
とされており、守秘義務を負っている公務員から秘密を聞き出す取材活動は一定の範囲内で適法とされているのです。そうだとすれば、かかる取材活動も憲法上十分に尊重されるべきであって、取材源についての証言拒否を「間接的に公務員の守秘義務違反という犯罪行為の隠ぺいに加担するに等しい」と言うのはアンマリだと思うのですよ。
なので、今回の東京地裁の決定はちょっとアレなんじゃないかなーと思いました。同様の事例で拒絶を容認した新潟地裁のほうがいい感じです。
尚、通説チックに書こうとすれば、「取材の自由は報道の自由の不可欠の前提として国民の知る権利に資するものであるから、21条によって保障される人権である」というところからスタートするので、裁判を受ける権利とは人権同士のぶつかり合いになり、比べる基準もより厳格に(例えば、記者の証言内容が公正な裁判の実現に必要不可欠と言えて、しかも取材の自由に及ぼす影響が最小限度に留まる場合限定とか)なるので、ますます今回の東京地裁の決定はアレだということになります。
最後に補足。公務員が守秘義務を負っている情報というのは、基本的にはそれがバラされることにより我々がダメージを受けるものです。そのマイナスを考慮してもなお、不正追及によるプラスが大きい場合にはその情報がバラされることにも納得がいくでしょう。
先ほど読売の記事を紹介した際に「ちょっと感情的」と書きましたが、それは記事に
東京地裁決定は、驚くべき判断を示している。「刑罰法令により開示が禁止された情報の流通について公衆が適法な権利を有していると解することはできない」。つまり、公務員が持つ秘密情報を国民が知るのは「適法ではない」というのだ。これに従うと、政治家や官僚にとって都合が悪く隠したい情報でも、国が「秘密」と決めた途端に、それを公表するのは違法となってしまう。
という書き方をしている箇所があるからです。国が持つ情報はもともとは我々国民が持っていた情報なのですから、基本的には我々は国の持つ一般的な情報を知るべき権利があります。しかし前述のようにその情報がバラされることにより国民がダメージを受ける性質のものもあるのですから、守秘義務を負う公務員が持つ秘密情報を国民が知るのは普通は適法ではありません。個人の病歴や前歴、国家の防衛機密や外交機密等のことを考えれば納得がいくはずのことです。
そして、このような「秘密情報」として保護を受けるに値する情報は
国家公務員法一〇〇条一項にいう「秘密」とは、非公知の事項であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものをいい、国家機関が単にある事項につき形式的に秘扱の指定をしただけでは足りない。(最決昭52.12.19)
とされており、悪い政治家が「秘密」と決めた途端にどうのこうのっていうのはお話が吹っ飛んでいる気がします。読売新聞はこの決定を覆すように頑張って欲しいとは思いますが、ちょっと記事の書き方がアレだと思いました。んあー。
■ トップページ > ニュースとかネタとか > 取材の自由と公正な裁判の要請
いや、さすがって言ってもらえるほどの内容じゃないですYO。一司法浪人から見てもちょっとアレな決定だったもんですから、教科書通りのことを書いただけでヤンス。
新潟地裁の方の高裁決定でましたね。おおむねイシダさんの書かれた通りの趣旨で証言拒絶を支持。さすが。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060317i105.htm